鉛活字

 鉛活字を買った。活字を組んで印刷するシステムは、既に過去の遺物になってしまったので、たまたま行った金属回収業者から買ったのだ。価格は驚くほど安かった。趣味で使う錘を作るのにちょうど良い。240 ℃で融けるので、簡単に鋳造できる。鋳型は木製で十分である。
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 河合塾で仕事を始めたころは、模擬試験などの印刷はすべて、この活字で組んだものを使っていた。校正作業は3回ほどやるが、それでも直し切れない時は、印刷所に行って現場で校正する。
 名古屋城に近いところにその印刷会社はあった。出向くと、植字工がエプロン、腕カバ―を付けてこちらの指示通りに直している。直ちにそれにインキを塗って、一枚だけ刷る。それを見ると、まだおかしいところがある。植字工に直接指示を出すのだが、その植字工の指は少し欠けている。事故で失ったような感じではない。入れ墨を入れているようにも見える。

 こちらの指示が難しいらしく、汗をかきながら筆者に向かって聞く。
「先生!これでよろしいですか?」
 知らない人に先生と呼ばれるのは少々気持ちが悪かった。しかも当時筆者はまだ若く、この中年男に先生よわばりされるのには、当惑した。

 仕事が一段落して、応接室でお茶を戴いた。その時、担当の社員と話をして経緯を知った。その植字工はヤクザだったそうだ。服役中に印刷工の職業訓練を受けて更生し、この印刷会社に雇われて10年以上経つそうだ。勤務成績は良く、保護司の方も喜んでいたと聞いた。
 それにしてもあの「先生!」には、ちょっと驚いたと話すと、
「いや実は…、刑務所では看守のことを先生と言うらしいのですよ。」
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台風

 小学生の時、伊勢湾台風を経験した。その日は土曜日で、学校に行った途端に帰れと言われた。学校に置いてあった木琴を持って帰ることにした。それは正解で、学校は水没し、3か月間休校になった。中学校は自衛隊の基地になり、ヘリコプタの発着場になった。今ではとても信じられない大災害で、その町だけで二百人が死んだ。中学校の校庭の端で、犠牲者を鉄道の古枕木の上に並べ、ガソリンをかけて荼毘に付した。その煙の臭いは今でも思い出す。
 我が家も一階は床上浸水した。父母は後片付けで大変であった。手伝いたかったが、足手まといで相手にして貰えなかった。やることが無いから、毎日木琴を叩いて過ごした。
 その経験があるから、低いところには住めない。現在の家は標高80 mほどだから、津波が来ても大丈夫の筈だ。

 台風の目というものには、なかなか遭遇しない。15年ほど前、伊勢市の友人から、
「昨日の台風はうちの上を通過したぞ。台風の目に入ったから星が見えた。」と電話があった。こればかりは台風を追いかけて移動するわけにはいかないから、うらやましかった。

 5年前ほど前の台風はどういう訳か、うちの上を通った。それほど大きくない台風で、油断していた。窓から見ていたら塀が吹き飛んでしまった。夜10時ころの事である。
 そのうちに風が止んだので、外に出て、塀の断片を拾い集めた。ついでに犬の散歩をした。空を見ると星空が見えた。ちょうど、手を伸ばした時のてのひら程度の大きさだ。公園に行った瞬間、突然先ほどまでの風とは逆の、猛烈な風が吹いて来た。犬も筆者もびしょぬれになって走って帰った。

 うっかりして、通過したと勘違いしたのだ。塀が壊れたので、それに気を取られて、台風情報を見るのを忘れたというお粗末。
 しかし、偶然にも台風の目を体感することができた。

 明後日の昼間に、大型の台風が襲来する。ちょうど伊勢湾台風のコースである。何事もなければ良いが。

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